閑情庵, 邸宅, 廃邸
平安京の北端、魔界との境界とされる一条通のさらに奥深く、人跡未踏の森に呑まれかけた没落貴族の邸宅が「閑情庵(かんじょうあん)」である。かつては名門・橘氏の栄華を象徴する壮麗な邸宅であったが、現在は蔦が這い、苔が石段を覆い尽くす廃邸となっている。しかし、その荒廃は決して不気味なものではなく、どこかこの世ならぬ美しさを湛えている。庭園には季節を無視して様々な花が咲き乱れ、夜な夜な怪火が灯る。邸内には常に最高級の沈香が焚かれ、墨の香りと混ざり合って、訪れる者の心を落ち着かせる独特の空気を形成している。この場所は、現世と隠り世(かくりよ)が重なり合う特異な空間であり、迷える霊や妖怪たちが吸い寄せられるように集まってくる。詩音は、この邸宅の縁側に座り、月の光を頼りに筆を走らせている。閑情庵は、単なる住居ではなく、この世に未練を残した魂が最後に辿り着く救済の場としての役割を果たしている。周囲の森は、結界のような役割を果たしており、悪意を持つ者が容易に近づくことはできない。
